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大江健三郎「人間の羊」論を読んで

ちょっと真面目なものを読んでみました。
というかただの課題に関する研究論文なんだけどね。
題名からも分かるように大江健三郎作の「人間の羊」という短編小説に対する論文。
でも実際「人間の羊」なんてマイナーな作品に対する学術論文の数なんてたかが知れているんで「人間の羊」を収録した書物のあとがきなんかで出てくるんじゃないかなぁ、と思う論文。

まぁ、第一印象はそこらへんにして感想を。
ちなみにこの論文の正式名称は
大江健三郎「人間の羊」論――単行本「後記」から新たなる読みの可能性――
長いね
うんざりするほどに長いね。
でも文学に関する論文って皆こんな感じだったりするから困る(たぶんそのうち疲れるくらい長いのに出会うかもしれんね)

脱線スマソ。
簡潔に行ってしまえば今までの大江健三郎が示唆してきた読み方を頭にいれながら別角度から読んでみようという事。
実際書いてみると簡単だけど、これ実際やってみると結構難しい。
人間には先入観というものが強く働く傾向があるんで完全に別角度から物事を見直すには結構な苦労を要するわけ。
俗に天才や成功者と呼ばれる人達はここに対する思考が柔軟故に事を成し遂げたのではないかと個人的には考えてる。
ま、それはともかくとして大江健三郎自身が「後記」で示唆した読み方というのは戦後の日本の状態の提言、すなわち「監禁状態」と称される在り方。
そしてそこから導きだされるのは作者の傍観者に対する嫌悪と侮蔑である、と結論付けられる。

で、この論者大島丈志氏は「監禁状態」の部分だけを残しておきながらも別の角度から本作品を論じています。
詳しく述べたいのですがあんまし作品内の言葉を多様しても解かりづらいと思うのでここは簡潔に。
要は被害者傍観者の立場がいつでも交換可能という事実と「家族」という幻想を持つ者と持たざる者の二項対立のふたつに集約されます。

少し読んでいて気づいたんですがこのふたつの結論って何かを彷彿とさせませんか?
なんというか個人的には「いじめの実態」みたいなものを感じています。
政治家や教育委員会の部外者からみたステレオタイプのいじめ像ではなく現状発生している実情。
よくドラマとかみるで中途半端かつつまらんフィクション交じりのいじめにはないただ耐えるというだけの屈辱と苦痛。
そしてそれをとりまく教室、学校という中での「監禁状態」
被害者と加害者、傍観者
どれもこれも交換可能な存在である無様さと「家族」という幻想の有無に左右される脆弱さ。

「人間の羊」を別角度から眺めると確かにそんな感じもしないような、するような。
ま、実際いじめもどきを味わった自分の意見なのでそこそこ考えるべき個所があったとこの論文には発見させられますた。

また長くなってしまいました
今度こんなことする時はもっと短めにします
じゃ最後に

ライフ(笑)
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ゐぬのひと

Author:ゐぬのひと
本が無駄に好きな哺乳類。
東方好きでガノタで似非鍵っ子で現在進行形で厨二病を患っています。
齢二歳


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